「万世一系」とは何か。
皇位が、「皇統」によって、過去·現在·未来に亘り、
揺るぎなく継承されるべきである、
との(事実を踏まえた)規範だろう。そこで問われるべきは、皇統の概念だ。
しかし、これもシンプルに「天皇のご血統」と定義できる。
それが男系に限定されないことは、(伊藤博文名義の
『義解』説はともあれ)憲法及び皇室典範の
条文からも明らかだろう。帝国憲法では「万世一系」(第1条)と「皇男子孫」(第2条)
を別に規定する。
明治の皇室典範も「祖宗の皇統“にして”男系」(第1条)と、
それらを別に規定した(例えば佐藤丑次郎
『逐条帝国憲法講義』昭和17年刊に、
「皇統に属するも❲皇統に属していながら❳
女系に出づる者」は“当時の制度において
”皇位継承資格を認めなかったことを記すが、
これは“事実として”女系も「皇統に属する」
ことが前提になっている)。現在の憲法では単に「世襲」(第2条)とだけ規定し、
これは天皇のご血統=皇統による皇位継承を意味する。
その皇統には男系·女系の双方が包含される
というのが政府見解であり、学界の通説でもある。皇室典範でも「皇統“に属する”男系」(第1条)とあり、
皇統は明らかに男系·女系より“上位”の概念とされている。
ところが側室不在の「一夫一婦制」で、
しかも「少子化」が進む条件下にあって、
皇位継承資格を皇統に属する“男系の男子”に
狭く限定してしまうと、どうなるか。当然ながら皇位の継承は早晩、行き詰まる他なくなる。
それを避ける為には2つの選択肢しかないはずだ。その1つは、「皇統に属する」女子·女系にも
皇位継承資格を広げる。
皇統に属している以上、旧時代的な男尊女卑の
観念以外に、それらを除外すべき客観的な
根拠はそもそも存在しない。もう1つは、皇統の概念から「現に皇族であられること」
という大切な限定を外して、“果てしなく”拡大する。
その上で、“国民の中”に多く実在する歴史上の
源氏や平家、或いは皇別摂家など前近代の皇統に繋がる
系統や、いわゆる旧宮家系の子孫など、拡大された
意味(!)での皇統に属する男系男子を、皇位の継承が
行き詰まるたびに、次から次へと皇族として迎え入れて、
とにかく目先の継承だけを繋いで行く“綱渡り”の
ようなやり方だ。前者は、男系·女系、男子·女子に拘らず、
皇室の尊厳、「聖域」性を守り、皇統の“純粋性”を
重んじて、皇室と国民を厳格に区別する立場だ。後者は、皇室と国民の区別や皇室の聖域性などには
頓着せず、又、本人の資質や成育環境などにも
目を向けないで、国民と苦楽を共にして下さる
皇室の真の伝統への敬意を持たず、
ひたすら男系男子という血筋だけに拘る方向性だ。しかし後者は、皇位が厳格な意味での皇統ではなく、
果てしなく拡大された意味での
皇統=“国民の血筋”によって継承される道を開く。分かりやすく歴史上の人物で説明すれば、
平清盛や源頼朝など“広い意味での”皇統に属しながら、
もはやとっくに皇族“ではない”男系子孫の男子が、
天皇として即位する場面を想像すればよい。まさに皇統を断絶させ、“国民出身”の
新しい王朝への交替を意味する。
それは万世一系に終止符を打つ以外の何ものでもない。
従って、本気で「万世一系」を願うなら
選ぶべき方途は1つだけ、という結論になる。【高森明勅公式サイト】
https://www.a-takamori.com/
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